日記

因果応報

・因果応報という言葉のように、他人にした行いが自分に返ってくることがある。

良い行動をすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくるという、子供をしつけるにはとてもいい言葉だ。

しかし、言葉通りいかないのが世の常であるのが悲しいところ、今朝NPO法人の代表が殺害されたニュースを見た。

私財を投げ打ってまで子供たちをサポートしたというが、まさに善因悪果の酷い事件だろう。

 

なぜか人は悪いことをすれば罰が当たる、と盲目的に信じているがそんなオカルトはあり得ない。

たとえば、パチンコは基本的にハンドルを10円玉などで固定する遊戯は禁止されているが、ジジイババアは普通に固定して遊戯している。

そんな所謂一つの不正を働く人間に限って直ぐに当たったりするのを何度も目撃している。ルール通り遊戯する人らを差し置いて。

 

逆に良いことをして自分に返ったことがあっただろうか?

自分は財布を拾ったときちゃんと然るべき所に届け、人が蹲って困ってそうだったら声をかけたり、良いことをしているつもりだった。

だが、目に見えて良いことは未だ起きていない。

 

 

このように悪いことと良いことを比較すると、一見人として素晴らしいのは良いことに見えるが、悪いことのほうが損得で言えば得をしている。

たとえば財布を拾って届けた→善行、ネコババした→悪行としよう。

 

                 善行    悪行

自分にとって悪いことが起こる   ×      ×

自分にとっていいことが起こる   ×      ○

 

 

このようにみると、善行も悪行もその行為で自分に別の件で自分に返ってくるような結果を招くことはない。

だが、悪行をすることで財布の件であればお金を手に入れられるという「良いこと」、ほかにはごみのポイ捨てであれば、邪魔だったごみを捨てられるという「良いこと」が起こる。

善行はよくて感謝されるという腹の足しにもならない結果だけだ。

 

 

結局のところ、良いことをしても悪いことをしても自分にその結果がオカルティックなものとして返ってこないのならば少なくともその場で得(良いこと)が起こる悪い行為をした方が良いだろう。

 

世の中本当に正直者が馬鹿を見る時代、損をしてまで善行するか悪行をして得をするかであれば僕は間違いなく後者を選ぶ。

 

 

 

・今期もまた抽選合戦。

決して安くない学費を払ってるんだからゴミみたいなシステムやめてほしい。

単位をよこせよクソが。