日記

・せつこの一周忌が終わった。終わったといってもまぁいつも通りお墓参りをして手を合わせるいつもの感じだったけれども。
去年のちょうど今頃だった気がする。



いつまでも悲しむよりも、時に思い出すことが一番の供養になるのだと思う。
せつこと共に生きた時間があった、その事実がある限りせつこが存在した事実は消えない。
柱にある傷や壁紙をはがされた後、そうした生きてきた証を心に刻めば寂しくはない。
明幽違えど、心で共に。




あとは彼女に作ってもらったせつこのキーホルダーがあるからね。
ずっと使っているからさすがにぼろぼろで黒ずんでしまったが、出かけるときは「行くぞ!せつこ」と声をかけて一緒に出掛けてるような気もしている。
死んだことをいつまでも悔い悩むより、生きていた時のことを考えた方が双方にとってもずっといいと思った。



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